« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

金に生きるは下品

金に生きるは下品にすぎる、京都金杯予想恋に生きるは切なすぎる、馬券予想に生きるはくたびれる。とかくこの世は一天地六。命ぎりぎり勝負をかける、仕事はよるず引き受けましょう。重営の格付け、競馬場の東西、馬券の種類は間わず、委細相蔀詮笠2要詈星栃葉。一菅ンーズンの中距離王を決定する宝塚記念の前哨戦である金鯨賞だが、金館賞と宝塚記念を運勝した馬はここ10年では04年のタップダンスシチーと、98年のサイレンススズカ。金鯨賞組で宝塚記念の馬券に絡んだ馬は、2着でメィショウドトウ、ツルマルボーイ、川崎記念3着でジョービッグバン、タップダンスシチー。過去10年、宝塚記念で3着迄に入った延べ30頭中6頭が金館賞組。果たして、宝塚記念の前哨戦と言えるのか? と噛み付くつもりはないが、タップダンスシチーはジャバンCと宝塚記念に優勝。メィショウドトウは金館賞優勝の翌年の宝塚記念に優勝。ツルマルボ‥イは金館賞優勝の2年後に安田記念に優勝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダービー

長い間競馬を見ていると、勝った馬より「あの馬が負けた」記憶が強烈な印象を残すレースがある。1973年のダービーはその典型だろう。何しろ「あの」ハイセイコーが3着に敗れてしまったのだから……。ハイセイコーの異常人気は、リアルタイムで知らない人にはちょっと想像できないのではないか。後にオグリキャップやデイープインパクト等、怪物的と称されるアイドル・ホースは何頭も出たが、中山金杯予想でもハイセイコー人気は常軌を逸していた。競馬がギャンプルとしてのマイナス・イメージしかなかった時代に「ジジババから小さな子供にまで」名を知らしめ、「総理大臣の名は知らなくても、ハイセイコーは知っている」とまで言われた馬。コンピを組んだ増沢末夫騎手が「さらばハイセイコー」と一言買誰珍‘レコード化すると、それがヒットチャート上位にランクインするとい京都金杯予想でも、まさに存在自体がアンピリーバボーだったのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

直線で追い込みが効くコースには強い

①札幌のすべてのレース②平坦コースのすべてのダート③函館芝二六〇〇M④福島芝二〇〇〇M⑤小倉芝二〇〇〇M武豊が乗っていたら、どんなレースでも勝負していいわけではない武豊の買い方は、京都、東京では投資のつもりで買ってよい。
それくらい、直線で追い込みが効くコースには強い。
一方、安藤勝己が強い阪神や、関東の騎手が頑張る中山、 一流騎手が集まる夏の北海道では武豊とはいえ、あまり勝負しないことだ。
何度も言うが、逃げ馬が勝てる条件か、追い込み馬が来る条件なのか考えること。
逃げ馬にチャンスがあれば、素直に買う。
逃げ馬も追い込み馬も来ない条件だったら、先行、差し馬で勝負する。
黙っていてもそれらの馬が来る。
平成十七年『きさらぎ賞』では、先行して早め早めの競馬をしたコンゴウリキシオーが勝ったが、このコース(京都芝一人○OM)は差し、追い込みが絶対有利。
武豊がアドマイヤフジで後方待機したのは自然と言える。
武豊が今年も好調だ。
自身も、「GIを十勝したい」と豪語しているほどだから、よほど、乗り馬が揃っているのだろう。
安藤がいても藤田がいても、栗東の武豊帝国は変わらない。
こんな偏重が許されていいのかと思うほどである。
とは言え、「強い」ものを好きにならなければ競馬は勝てない。

  1. 有馬記念競馬予想
  2. 有馬記念予想するならこちらへ

  3. 東京大賞典
  4. 東京大賞典の勝ち馬予想はコチラへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フランス最強4歳馬の座についた!

フランス最強4歳馬の座に就いた。そして今年、春先は調子が出なかったものの連勝記録は持続。回復してからはイギリスに遠征し、アスコット・ゴールドCに楽勝してイギリス紳士のド肝を抜いた。この後、調教中に軽いケガを負ったカラカラは、前哨戦を使えずに凱旋門賞に出走。だが、最後の直線で爆発的な末脚を発揮して勝利をさらった。もちろん、ブサックは手に汗握り、喉をカラカラにして声援を送ったことは言うまでもない。●ジョージ・ウルフ(米騎手)1月4日、前日の落馬事故がもとで死去。36歳o‐7年間に及ぶ同騎手の冷徹な騎乗ぶりからついたニックネームが「ゴΦ【oΦB昌」(氷の男)。阪神ジュベナイルフィリーズ予想では38年には、ピムリコ競馬場で行なわれた米三冠馬ウォーアドミアルとシービスケツトのマッチレースで、シービスケットに騎乗。圧倒的不利の予想を覆して勝利をものにした。また、米三冠馬ワーラウェイに騎乗したこともある。●フェルステッド(英種牡馬)4月5日、病気のために死亡。22歳。フラミンゴ、フェアウエーなどの強豪を破って英ダービーに優勝し、種牡馬としても女傑ロックフェル(英オークス、英1000ギユー、チャンピオンS)などを輩出した。戦争が終わって、僕らは生まれ変わった。僕らの名前は「戦争を知らない大レ‥ス」さ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本競馬会

戦争の激化、そして終戦の混乱のために停止されていた競馬がやっと再開された。10月17 日から春季競馬を東京と京都で開催。翌11月には秋季競馬が行なわれた。この秋季競馬では、恒例となっていた優駿牝馬競走と農林省賞典4歳馬が復活。また、出走頭数
の確保のため3歳競馬も開始された。「競走馬はすべて処分されてしまったのではないか」と心配していたファンも多かっただろう。ところがどっこい、日本の競馬は生きていた。たしかに競走馬の生産頭数は減っていたが、生産活動は続いており、今年も各地の牧場で戦争を知らない子たちが産声をあげている。調教師や騎手は競馬停止中、日本競馬会の職員として働き、競馬が開催されるのをじっと待っていた。そして終戦後、軍部に接収されたり畑となっていた競馬場を修復。阪神ジュベナイルフィリーズ予想でもあとは日本競馬会による競馬再開のXデーを待つばかりとなった.待ちに待ったその日は10月17LIにやってきた。秋もたけなわのこのから春季競馬として東京競馬場と京都競馬場で開催。翌H月には秋季競馬行なわれた。しかし、古馬は能力検定が済んでいるため、出走できるのは4歳馬のみだった。そこで、日本競馬会は生産者の負担を軽くし、育成技術を向上させ、馬主の収入を増やし、その資金回転を早めるため、3歳競馬の開始を決定。秋季競馬からは、ヤンチャ坊主やオテンバ娘がターフに登場した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ギリギリの状態で阪神JFに挑む

当初は北海道から輸送して、そのまま栗東に滞在する予定だったが、誤報で脚部不安の噂が流された。騒ぎが大きくなったためにいったん東京に戻し、再度栗東に入厩する事態になったのである。さらに当時としては珍しい500キロを超える大型馬だったので調整は至難を極めた。まして、併せ馬がめったにできないとなると、なおさらだ。そのなかで、当時のレコードタイムで圧勝を演じたのである。誰よりも調整に苦労したであろう長沼本人が、もっとも印象に残っているレースだといっても不思議ではない。とが多いんだけど、サクラバクシンオーもそうだったね。ジンマシンが出たり、左前脚に球節炎が出たりと、大変だったよ」と、担当していた吉村活彦元厩務員が語る。∞年代最強のスプリンターとの呼び声高いサクラバクシンオーは、常に疾病との闘いだったという。「とくにひどかったのは球節炎だね。血の流れを良くするために、レーザーを左脚にa分、右脚に10分、合わせて∞分ずつ当てたよ。阪神ジュベナイルフィリーズ予想でも右脚にかけたのは、左をかばって、右も悪くなる可能性があったから。結局、引退するまで、これだけはかかせなかったな」と吉村は語った。それほど、ギリギリの状態でバクシンオーは競馬を続けていたのだ。吉村いわく、普段の世話は楽だったという。利口な馬で、ボロ(罵菫)を取ろうとする自分から避けてくれていたそうだ。「でも、競馬になると、燃えすぎてね。ガーッといくから、長い距離は全然ダメだった。真面目だったんだね(笑)」その燃えやすい気性が災いして、3歳時に挑戦したスプリンターズSは6着に敗退する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »